元教師 Noraの孤独な人生

ルサンチマンを燃やせ

学校の実験はヤバい

 

理科の実験中に相次いで生徒が「気分が悪い」、21人搬送|ニフティニュース (nifty.com)

 

おーやってんな~松山市

 

俺も昔、理科系の教員だったから調子に乗って粉塵爆発とかテルミット法とか花火とかド派手な実験をやったことあるけど、21人も病院送りにしたことはないぜ。

硫化水素的ななんかヤベェ気体を発生させたんだろうか。

 

以前の記事でも説明したとおり、教員は業務量がパンクしてるので、他の教員のチェックをしてる余裕がない。

自分の授業のメリット・デメリット、コスト、リスクをちゃんと自分で客観視できてるなら問題は起きないけど、自分で自分の面倒を見ることができない人は暴走してヤベェ授業になったり、ヤベェ実験をやらかしたりしてしまう。

彼らは当然、「自分は暴走している」だなんて自覚をもってないわけだから、暴走機関車は明後日を目指して走り続ける。

 

教員を第三者がチェックする仕組みがないのは、「教員」という仕事が誕生して以来ずっとだと思うけど、「実験でヤバいガス出しちゃった」みたいなリスクを防ぐためにはやっぱり何かしらのチェックをする仕組みが必要だと思う。

ただでさえ、授業中なんかは教室という空間のなかで唯一権力をもった存在になるんだから、その存在がせめて致命的な間違いを犯さないような仕組みをつくったほうが安全ではなかろうか。

ヤベェ独裁者を生み出さないよう、国民が政治をチェックする仕組みである民主主義のように。

 

じゃあ具体的にどうするのか?

民主主義だなんて大層な話をしたものの、学校に割り当てられる予算は高が知れている。

人件費の割合を増やし、教員のチェック要員を配置する、なんてのは現実的じゃない。

 

なら、教室に監視カメラを設置するのはどうだろうか?

人件費よりは遥かに安上がりなはずだ。(確か月あたり数千円程度だったかな?)

教室に監視カメラを設置することで、教員には「誰かが見ているかもしれない」という意識が生まれ、自分自身のありようを客観視せざるを得なくなる。

さらに言うと、生徒側も監視カメラを意識し、いじめが出来なくなるだけでなく、日頃から「自分は誰かに見られているかもしれない」という意識がはたらいて自身を客観視できるようになる。

大人とは、自分を客観的に分析し、社会との調和を図れる人間のことだと思う。

だとするなら、「常に誰かに見られている」という意識は、大人への成長を促進する効果が期待できるのではないか。

 

「監視カメラに囲まれながら育つなんて、健全じゃない!人間的な環境じゃない!」

教室監視カメラ論を世間に発信すれば、そんな反論が来ることが容易に想像できる。

しかし、いじめが横行する現在の教室が果たして、健全で人間的な環境だと本当に言えるんだろうか?

いじめの認知件数は近年増加傾向にある。

最新の統計情報によると、全国の小・中・高・特支すべて合わせて年間約61万件ものいじめが確認されている。(ソースは文科省HP➡https://www.mext.go.jp/content/20201015-mext_jidou02-100002753_01.pdf

それなら、たとえ文化や伝統の破壊につながろうが、子供たちの心の安全のために「監視カメラ」を導入したほうがマシなのではないだろうか?

「監視カメラ」という響きは、いかにも非人間的で、猜疑心に満ちていて、子供がすくすく育つ穏やかな場所には似つかわしくないと感じるかもしれない。

その点を問題視するなら、「あんしんレコーダー」なんて名前に変えてはどうだろう。

昨今、ドライブレコーダーが各家庭に普及し、日常生活にありふれた存在になっている。

馴染みのあるドライブレコーダーをもじりつつ、やわらかい印象をもたせた「あんしんレコーダー」。

子供達にコンマ1秒の隙も与えず見守り続ける理想郷、ディストピアへの第一歩だ。

自民党の国会議員さん、僕に著作権料を支払えばこのアイデア、お譲りしますよ。

 

ここまで読んで僕にどこかサイコパス感を覚えた読者の方、どうか安心してほしい。

上の文章は、この記事を書きながら考えた単なる思考実験に過ぎない。

監視カメラがある教室で生活するなんて、普通に考えてイヤでしょ。

僕だったらそんな学校行きたくない。多分ゆたぼんみたいになると思う。

 

まあ教室監視カメラ論のようなジョークはさておき、教員や生徒の暴走を止める仕組みは欲しいものだ。

こういった、教育界に遥か昔から巣食う病理にメスを入れるには、やはり社会が教育問題をもっと重く考え、政治に影響を与えていくことが必要だろう。